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第1章 新古典主義からモダニズムの誕生へ |
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新古典主義とゴシック|イギリスのゴシック、そしてケルト|ドイツの場合 リヒャルト・ヴァーグナーとゴットフリート・ゼンパー|新古典主義的近代性と20世紀的近代性の差異|ルイス・ヘンリー・サリヴァン|チャールズ・レニー・マッキントッシュ|アール・ヌーヴォーとナショナル・ロマンティシズム|オットー・ワーグナー|アドルフ・ロース|ワルター・グロピウスとバウハウス|インターナショナル・スタイルとMoMA|モダニズムはスタイルか、イデオロギーか、党派か
第一章では、「近代はどこから始まったのか」から話は始まります。「新古典主義は、ゴシックなどと違ってインターナショナルな質を持っているのです」(鈴木)との発言から、19世紀中頃以降の欧米の動きがなぞられてゆきます。シンケル、ゼンパー、マッキントッシュ、シカゴ派、アール・ヌーヴォー、ワーグナー、ロース、グロピウス等々。そして、1932年の「インターナショナル・スタイル」展。ここで、モダニズムはイズムではなくスタイルになったと言われますが、そこまでに世界では何が起こっていたか。「現代都市は立体格子である」(磯崎)に対して、「立体格子自体は近代の産物ではない。ギリシャ時代からすでにある」(鈴木)なんていうやりとりもあります。
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第2章 技術とその意味 |
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ペーター・ベーレンスと鉄骨の表現|クリスタル・パレスの展開 ハイテック、記号性|アール・デコ|ヒットラーとファシズム|近代建築・歴史の構図|バックミンスター・フラー
第二章は、では当時どんな技術が背景としてあったのか。クリスタル・パレスはどんな影響をもたらしたか。ベーレンスのAEGタービン工場に見る鉄骨のピン接合から、アール・デコ、ドイツのファシズムの建築、しまいには「バックミンスター・フラーは建築家なのか発明家なのか?」など、議論はあちこちに飛びながら、20世紀前半の状況を個別にあぶり出していきます。その中で、鈴木さんにより建築史の系譜が紹介されつつ(ピュージンにより、百科全書的採集学的な姿勢から価値を判断する方向に切り替わった)、磯崎さんにはっぱをかけられたりしています。さらに鈴木さんによる磯崎批判なども繰り広げられ、場は白熱してゆきます。
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第3章 1つで歴史に残る家 |
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ヘリット・トーマス・リートフェルトとシュローダー邸|シュローダー邸とニューヨーク・ファイブ|歴史に残る1つの家|コルビュジエとライト、卍型をめぐって|コルビュジエとアイリーン・グレイ
第三章では、ちょっと小休止のごとく「一つで歴史に残る家」。シュローダー邸、ガラスの家、メルニコフ自邸といった名作に触れつつ、その社会的・歴史的背景と影響について話が進みます。後半はライトとコルビュジエ、渦巻き型のプランを考え出したのはどちらが先かで盛り上がり、最後はアイリーン・グレイのE1027をネタに「ストーカー・コルビュジエ」の楽しいエピソードが披露されます。
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第4章 前衛か、体制か |
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近代建築におけるペレの役割|コンクリートとガウディの造形性|モダニズムの純粋性と大衆性|ライトのヨーロッパとの因縁|モダン・クラシシズムとナショナリズム|CIAMと都市、そしてライト|集合住宅と郊外住居|ハウジング:ミースとコルビュジエ
第四章では、オーギュスト・ペレをどう評価するかで、鈴木さんと磯崎さん(二川も)に温度差があるのが興味深いところです。お二人の立場の違いが浮かび上がります。ペレから派生してコンクリートの造形性の話となり、ガウディ、ライトに触れられています。ジョンソン・ワックス本社、落水荘、グッゲンハイム美術館がどれも70歳過ぎてからの仕事とはあらためて驚きです。後半は、戦前の近代建築運動=CIAMとドイツ工作連盟の動きから集合住宅の流れを追います。ヴァイセンホーフ・ジードルンク、ブリッツ・ジードルンク、ユニテ・ダビタシオン、51C型、レイクショア・ドライブまで。単位、全体、コミュニティと議論の種はつきません。
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第5章 大戦前後 |
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エリック・グンナー・アスプルンド|エリエル&エーロ・サーリネン|アルヴァ・アアルト|北欧と日本との関連|ヨーン・ウッツォン|テラーニにおけるフォルマリズムとイデオロギー|ミース・ファン・デル・ローエと戦前から戦後への展開|国連ビルに見る戦後のアメリカ|シーグラム・ビルの登場とモダニズムの世界伝播|モダニズムの展開と丹下健三|モニュメンタリティの意味
第五章は、アスプルンド、アアルトらの北欧の動き、これらに対する磯崎さんの思い入れの深さが浮かび上がります。戦前戦後期に話は及び、ウッツォン、ヤコブセン、テラーニ、そしてミースの展開(ドイツからアメリカへ)と共にその影響力について語られていきます。大きくみればミースとアメリカの経済力、技術力をしてモダニズムが世界伝播されていくと。ここで近代建築についてのお二人の意見が、丹下健三を引き合いに出しながら、熱くぶつかるのは、見物(=読みどころ)です。
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第6章 南北米・欧、それぞれの展開 |
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ブラジリアと都市計画|ラテン・アメリカとヨーロッパの関係|アメリカ:SOMの時代|西海岸の住宅作家|ヨーロッパの戦後:ジェームズ・スターリング|ハンス・シャロウン、フレデリック・キースラー|イタリア黄金時代とフランス・グラン・プロジェ
第六章は、前半は、戦後の大きな都市計画(ブラジリア、チャンディガール)と、メキシコ、アメリカの戦後の展開についてのお話です。アメリカでは東はミースの次世代SOMのビルが建ち、西では、シンドラー、ノイトラ、イームズ夫妻が出てきます。ヨーロッパではほどなくして、ジェームズ・スターリングが登場し、同じ頃コルビュジエはラ・トゥーレット修道院をつくる。世界各地でモダニズムが独自の展開をし、新旧世代交代が写真の流れでも伝わってきます。後半は、1968年のミラノ・トリエンナーレの話から、ポンピドゥ・センター、パリのグラン・プロジェ、コールハースまで。だいぶ現代のお話になってきました。
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第7章 最後の巨匠、そして日本 |
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ルイス・カーン|Form Evokes Function|カーンの弟子たち|サーリネンの弟子たちとハイライズ|日本近代:その始まり|日本の近代建築とは|建築の消失
第七章は、最後の巨匠として、ルイス・カーンがフィーチャーされています。ルイス・カーンのエッセンスが継承されているのは、ヴェンチューリのような弟子たちではなく、グワスミー、ボッタ、安藤忠雄だろうという話に落ち着きます。エーロ・サーリネンの弟子たち、特に二川の思い入れの深いケヴィン・ローチを中心に超高層のデザインの話となり、フォスターの香港上海銀行で海外の話は終わります。そして、最後に日本。丹下健三の突出した位置が語られ(鈴木)、磯崎さんは、「プロセス・プランニング論」と「建築の解体」にふれて、世紀末の今は、解体ではなくもはや「消失」だとして結びとなります。
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あとしまつ 磯崎新 |
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土俵が無くなってしまった|「20世紀」の「現代建築」を「検証」する
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336 total pages
ISBN 978-4-87140-682-6 C1052
2013年7月25日発行 |
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¥2,530(税込) |
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